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コソコソおたくの戯れ言。馬鹿なことを一生懸命やるから面白いんだ!!

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■ 2007/10/25 (Thu)  与え奪う愛。

何だかルルーシュの「与える愛」、スザクの「奪う愛」が自分の中で一人歩きしている気がして、ぬーたいぷの50質をもう一回見てみたよ。

ルルーシュ
Q.愛とは?
L.限りなく与えるもの。
Q.尽くすほう? 尽くされるほう?
L.想われるよりも想うことに充実を感じる。

スザク
Q.愛とは?
S.奪うものかもしれません。悲しいことだけど。
Q.尽くすほう? 尽くされるほう?
S.尽くされたいけど尽くしてしまうほうだと思います。

それで思ったんですけど、「尽くすほう? 尽くされるほう?」の質問の答えを見てみると、二人とも基本は「愛し愛され」なんですよね。ルルーシュは愛されるより愛したい人で、スザクは愛されたいけど愛してしまう、彼もどっちかというと愛す人。恐らくこれが二人の元々の性格なんじゃないかと思います。

それなのになぁんでこんな極端な「愛」観になっちゃったんだろうと思ったんですが、もしやこれは、対象を設定すればいいんじゃないのか?と考えてみました。

ルルーシュの場合、愛の対象としてはナナリーとスザク。そして彼の「愛」観を形成したのは、恐らく対ナナリーの愛だと思います。また、母を殺され父に存在否定されてから、スザクに会うまでは「愛し愛される」対象はナナリーしかいなかったってのもミソかも。ナナリー以外には、裏切られる事を前提に始めから愛を期待していないんですね。いや、期待していないどころか拒否してる。
そして、ナナリーを愛そうとするならば、ルルーシュは尽くすしかないんです。ナナリーは精神的な支えにはなってくれるでしょうが、彼女に尽くされるなんてことはありえないわけです。なので、もともと「想われるよりも想うことに充実を感じる」ルルーシュは、充実感を味わいながら限りなく与え続けることになると。

スザクの場合、愛する対象としてはルルーシュとユフィ。そして彼の「愛」観を形成したのは、ルルーシュ。
始めルルーシュは愛の対象をナナリーに限定しているので、スザクが愛されたいがために愛そうとしても、ルルーシュはその好意を受け取ってすらくれないんですね。だから強引に愛の押し売りをするしかない。でも、ナナリーを助けることでルルーシュに愛の対象として認めてもらえて、これで上手くいくかと思いきや……このとき既にルルーシュは「限りなく与える愛」の人ですから、スザクは貰うばっかりになるんです。
その上、愛の押し売りをしても、気持ちだけじゃ受け取ってもらえないんです。ルルーシュの周りは敵だらけですから、どんなにスザクの気持ちが篭っていようと、それらがルルーシュから見てナナリーやスザクにとってマイナスになるものであれば、ルルーシュは受け取らないわけで。結果的にスザクは愛すれば愛するほど奪うことになってしまう。だから「奪うものかもしれません。悲しいことだけど」となるんですね。

しかも、ルルーシュは沢山のものを持っている人間ではない。寧ろ奪われた人なのに、残った数少ない中から身を削るようにして与えるわけです。おお、なんて切ない……ルルーシュのことを想うなら、貰うほうは躊躇するよ! 今なら「学校では他人でいよう」と言ったスザクの気持ちが分かる気がします。奪わないためにせめて身を引こうと。しかしそれに対するルルーシュの答えは「友達だ」「生徒会に?」ですからね、正に与える愛。スザクにとっては嬉しいけど、悲しいと思うよ。
なので、スザクは愛を受け取ってもらえないから「片想い」なのかなーと。アーサーに対してもそうですよね、いくら構ってもウゼェって噛まれる。
よく考えてみればスザクは、STAGE6の「猫は僕が」とかSTAGE16とか、ルルーシュがピンチになると、ここぞとばかりに「俺の愛を受け取れ」とアピールしている気がします。

と考えると、ナナリーも「奪う愛」の人になってそう。なんだかナナリーが我が儘を言わないのは、ルルーシュが身を削ってまで尽くしまくるからだったりして。
でも、ルルーシュとナナリーは一応バランスとれてるんですよ。ルルーシュが愛を受け取ることを諦めている代わりに、ナナリーは愛を与えることを諦めているから。

しかし、なんというか、ルルーシュってなんて罪なやつなんだ。

↓以下は蛇足です。

私はユフィを「与える愛」の人だと思っているんですが、これはSTAGE17でスザクを自分の騎士にすると言ってから、つまり、本編の途中で「与える愛」の人になったのだと考えています。だけど彼女も「愛し愛され」が基本だから、コーネリアから周りから与えられるばかりのユフィは、与えたいと思うようになったと。
だけど、与えるだけじゃ駄目なんですよね、ユフィが不満に思っていたように。だから「私を好きになりなさい! その代わりわたしがあなたを大好きになります」なんだけど、でも結局ユフィは愛したい人。「笑顔が見たい」って、その人が幸せでいてくれればいいってことで、それ何処のルルーシュ? 「手伝ってくれますか?」と口では言ってるけど、ユフィが与えたい側の人間(スザク、ルルーシュ、ナナリー)には具体的なことは何一つ相談せずに行き成りの特区宣言ですからね。とにかく「与えたい」が先走ってる感が。

でもユフィの凄いところは、ちゃんと「愛し愛され」前提なので「あなたのおかげ」って言うところですよね。自分の「与える」願望を満たしているだけなのに、スザクには「自分はちゃんと貰っている」と言ってるんです。ムチャクチャだけど、これで上手くいくんですよね。理屈でできているルルーシュには到底できない芸当だ。
スザクの不幸というか片想いの原因は、ルルーシュの「与える愛」に愛の理想を見続けていることだと思うんですが、ユフィはその理想を体現しつつ、スザクの与えたい願望にもフォローを入れている。

しかも、ユフィの与える愛にはルルーシュみたいな悲壮感が無いんですよ。だって、ユフィは沢山持ってる人だから。ルルーシュもユフィも「本当に大切なものは捨てていない」と言っているけど、その意味はまるで違う。ユフィは「本当に大切なもの」以外にも沢山持っているけど、ルルーシュに残されたものは僅かしかなくて、そこから更に与えるわけですから。

ルルーシュの不幸は、頭が良いからこそ常に最悪の状況(裏切り)を想定してしまって、最初から愛を受け取ることを拒否したり、諦めたりしているところですよね。なので、ルルーシュは絶対的に信じられる人からしか愛を受け取らない。それ以外では、目的を同じくする人と目的を同じくする間だけ手を組むしかなくなるんです。
では、ルルーシュにとって絶対的に信じられる人って誰?ってことになるんですが、ナナリーとスザクしかいないですよね。だけどナナリーは与える側ではないし、スザクは性格変わってるし。だから、スザクですら絶対的に信じられたのはSTAGE16後からランスロットバレまでなんだなぁと。

なんというか頭が良いってのは、単純にプラスなだけではないんですよ。思考力を上手く使いこなせば、最悪を避けたり最善を選んだりすることができるんですが、逆に知らなくてもいい事まで分かってしまう。世の中、知らない方が幸せなことって沢山あるわけで。知らなければ信じていられるんですが、知ってしまったら諦めるしかないんですよね。それが自分の力の及ぶ範囲ならともかく、実際は人一人のできる事なんてホンのちっぽけなものでしかないじゃないですか。だから、力の無いナナリーは目を閉じているんだと思う。知らなくてもいいことを知らないように、ルルーシュの吐く嘘を真実だと信じていられるように。
だけど、より良い未来を描くためには、過去から結果から学ぶしかないんです。過去というのは現在を生きるものにとっては決して触れることのできないものだから、何であろうと必ず諦めるしかないものなんですよ。手に入れられる可能性があるのは未来だけ。だから、信じるべきは未来なんです。

なんか、脱線してきましたが……

ええとですね、ルルーシュの「与える愛」はナナリー以外の相手を尽く片想いにする、ある意味酷い愛なんですが、自らの手で未来をつかむ為にはこれほど理想的な愛も無いと思うんですよ。
自らの手で未来をつかむ為には自分を信じなくてはならないわけですが、ルルーシュの場合、自分が諦めればナナリーの未来まで同時に諦めなくてはならなくなるわけで。つまり、自分の未来を信じられないとなると、一番愛する人を自動的に道連れにしてしまうことになるんですね。だからどんなに絶望的な状況に陥ろうと、絶対にルルーシュは諦められない。自分を信じるしかない。
逆にナナリーを亡くしてしまったら、ルルーシュにはもう望む未来が無くなるわけで。彼は手に入れたい未来があるからこそ、自分を信じてゼロとかやっているんですから。他に何を失おうとも、与える愛の対象であるナナリーだけは無事でいてくれなきゃならないんですよ。
だからSTAGE25で何もかもを放り投げてナナリー救出に向かうことは、ルルーシュがゼロを続けるために必要なことなんですよね。それを分かっているのはC.C.だけですが。

で、またちょっと話が前後しますが、
ゼロって「与える愛」のルルーシュだからこそ選択できる、本当の意味での「奪う愛」の形だよなぁって思ったんです。つまり「奪う人間から奪い返して奪われた人間に与える愛」だと(長すぎ)。
愛を「限りなく与えるもの」といってもルルーシュの持っているものには限りがある。だから与え続けるには、ルルーシュが自身が与えるもの手に入れなければならないんですが。でもルルーシュは「やめろ! これ以上俺を哀れむな! 施しは受けない、俺は自分の力で手に入れてみせる」とかいうプライドの高い捻くれた人なので、持っている人間から貰うという選択肢は無い。となると、自ら生み出すか、奪うしかないんですね。生み出すにしても、ビッグバンじゃないので、何も無いところから生み出せるわけじゃない。ならばやっぱりその元になるものは奪うしかないわけで。
だから「与える愛」のルルーシュだからこそ、「与えるために奪う愛」のゼロになるんだと。

ここでまたスザクに戻ります。
スザクにとっては与える愛が正しくて、奪う愛は間違っているんですね。だからスザクの理想である与える愛のルルーシュが、ゼロとして奪っているのは許せないわけで。しかもそのルルーシュは、今までなかなかスザクの愛を受け取ってくれなかったくせに、「憎めばいい」とか言うんですよ。憎しみなら受け取るって言うんですか、そうですか…って、このときのスザクの気持ちを考えると腹立たしいことこの上ない(笑)。長年積もりに積もった片想いが憎しみに転じるのも当然です。
多分、あの「憎めばいい」が無かったらスザクはあそこまでぶっちぎれてない筈。

なんかこう、ギアスって色んな視点から見れるから面白いんだけど、だからこそ、いくら語っても語りつくせない……
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コードギアス | trackback(0) | comment(0) | 23:28


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